06年世界一周クルーズ=33・サンフランシスコに寄港

San_francisco_0271 6月23日。サンフランシスコが近くなったせいか水平線は霧で靄っていた。昼食後に美子さんと折り紙を始めたのだが、クジラ!という声に慌ててデッキに行く。4階のメインホールでは亀井教授のアメリカ史の講演の最中だというのに、出席しなかった連中はそのことをすっかり忘れて、ワイワイと講演会場に近い通路の扉を開けてデッキに出たり入ったり。ゴメンナサイ。

Cisco_0255 この日はイルカ、シャチ、クジラ、アザラシ、アシカ、海鳥などの姿を、心行くまで堪能した。夜の8時近くになっても海面をイルカの大群が飛び回る。左舷側も右舷側も大賑わいだった。サンフランシスコ入港にあわせて、食堂入り口を飾るペーパークラフトは真っ赤な大カニになっていた。甲羅にはなんと、坂を走るあの有名なケーブルカーの細密画が切り込まれている。

San_francisco_0277San_francisco066 6月24日。朝6時。重く厚くたちこめる霧の中にかすかに橋桁が見えてきた。緞帳のように少しずつ霧が上昇してサンフランシスコはドラマチックに近づいてくる。ゴールデンゲートブリッジの下を通過。左手に、かの有名なアルカトラズ島がぼんやりと見える。

私たちが下船する35番ピアの建物の屋根の上で、はカモメが子育て真っ最中。巣や子どもは屋根の黒い色に同化して、目立たない。屋根を汚している白い色は親カモメとフン。カゼに飛ばされてきたような埃も白っぽい塊になっている。デッキからだと建物の屋根が目の前に見え、カモメとの距離があまりにも近すぎる。かわいいというより「不潔」という感情が先に立ってしまう。これから下りるサンフランシスコを暗示していなければ良いが・・・。

今回のクルーズでアメリカはニューヨークとサンフランシスコに寄港するが、夫は多分満足しているのだろう。どちらも彼が仕事で来た回数が多いところで、私にぜひとも見せたいといい続けていた町に寄港するからだ。タホ湖やグランドキャニオンも見せたいというが、「飛行機は苦手、絶対ダメ」という私は、先回も今回もツアーに申し込めないでいる。

入港は午前7時、朝食の時間と平行して入国審査が船上で行われたが、ニューヨークの審査のCisco0284 ような厳しさはなく早々にすんでホッとした。だが、下船は9時ごろ、帰船は5時半までに、と例によってかなりせわしない。ニューヨークと同じく一日バスツアーに参加することにした。ツアー後に、有名なカニを食べにいけるか、ちょっと不安だった。自由に歩きたい夫はツアー参加に不満気だったが、「ツアーに参加した方がハイライトが見られる」という私の意見をしぶしぶ聞き入れてくれた。荘輔さんはカナディアンロッキーのオーバーランドツアーに出かけてしまったが、美子さんは私と同じバスツアーに参加した。船旅の魅力の一つは、途中でどちらかが船を離れても安心ということ。先回のクルーズでは私も、夫がセントアンドリュースでのゴルフツアーに参加したとき、船友の上田夫妻に付き合ってもらい、エジンバラの町歩きを楽しんだものだ。

San_francisco4127Cisco_0341San_francisco4090さて、バスツアーだが、ゴールデンゲートブリッジ、サンラファエルブリッジ、ベイブリッジ、とサンフランシスコの三大橋を体験する。ツアーの最後にはフィッシャーマンズワーフを一とおり回って、またバスで船に帰るというコース。●シスコを一望できるツインピークス(あっという間に厚い霧が町を隠したり、見せたりしていらいらしながらも楽しい。頂上はあまりの強風で寒いくらい。夜景の美しさは有名)、●サウサリート(高級住宅地で芸術家も多く住んでいる。有名なフローティングハウスも興味深かかった)、●UCLAバークレー校を見学(私が留学するとしたら、先回のクルーズのとき見て回ったカナダのブリティッシュコロンビア大学に行き たい。UCLAの購買部では、学生たちのアルバイト店員が多く、丁寧で親切な対応にちょっと感激。学生街のコンビニや、Tシャツ専門店めぐりも限られた時間内ではあったが楽しめた)チャイナタウンには行かないが、昼食は中華料理店で

フィッシャーマンズワーフは、もともとはイタリア人漁師の船着場だったそうだが、今は世界San_francisco4265 中から観光客の集まる名所になっている。船が待つピア35までは歩ける距離なので、ツアーSan_francisco4259_2 から解放してもらって歩く。美子さんと別行動となった。夫はこれも観光名所のピア39でクラムチャウダーを買った。驚いた。両手に余るほど大きな丸いパンをくりぬいた中になみなみとクラムチャウダーが入っている。それを抱えてピアの2階デッキに上がった。サンフランシスコを象徴する建物が見えるウッドデッキのベンチに腰を下ろすと「うまい!最高!」を連発しながらあっというまに平らげてしまった。「一口、どうだ?」などという気はサラサラなかったようだ。私はここで有名なカニを必ず買う決めていた。どの店が良いかなと歩いてゆくと、東さん夫妻がオープンレストランに入るところに出会った。陸も海も、とにかく世界を知り尽くしているご夫妻が入る店なのだから味はきっと「うまい!」のだろう。私たちはその隣の店でカニを買った。広げた新聞紙の上にカニを置いたところで、ハンマーで「割って」もらい、カニミソは「そのまま残しておいて」もらう。カニミソは、黙っていると捨てられてしまうそうだ。アメリカ人と日本人の「一番美味しい部分」の感覚の相違が面白い。

San_francisco_0333San_francisco4202 ところで、サンフランシスコはゲイの町としても有名だ。特に明日はサンフランシスコ最大の祭り・ゲイのパレードがあるという。見たいと思うが、明日は海の上だ。プライド・パレードというらしい。人間としての誇りを持って世界に自分たちの存在をアピールするのだろう。パレードする道筋にはゲイのシンボルだという虹の旗や虹色の風船がはためいていた。観光バスの車窓からゲイのカップルを見かけた。「ほら、彼らもゲイですよ。あそこのカップルも、わかるでしょう?」現地のガイドが得意そうに教えてくれるのもサンフランシスコだからこそ、なのだろう。興味深かったのは、どのカップルも体つきが似たもの同士ということ。十年ほど前に読んだ本を思い出した。サンフランシスコを舞台に活躍する2人の刑事の物語。ひとりは妻帯者だが、もう一人はゲイで、相手は確か弁護士だった。刑事もマッチョなのだが、相手もマッチョに書かれていて、読んでいるときには違和感があったのだが、十年ぶりにその違和感が解消された。

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06年世界一周クルーズ=32・サンフランシスコに向け太平洋を北上

06063559_2  いよいよ大陸に沿って太平洋を北上し、サンフランシスコを目指す。パナマとサンフランシスコ間の時差は2時間。時間に合わせるため、4回に分けて30分ずつ時計を遅らせていかなければならない。1日の時間は延びるのに、気がせく毎日。なぜだろう。

パナマ運河を通過してからサンフ06060209 ランシスコまでは丸々8日かかる。その間に船側は船客を飽きさせないためにいろいろ趣向を凝らす。さまざまなカルチャー教室やメインショー、ティータイム・コンサートはいつものようにあるが、それに加えてスタッフによる折り紙教室やナプキン折り教室などもあり、洋上運動会もある。夜のデッキでは星座教室も。参加を強要されるわけではないのだけれど、参加しなければしないで、気になってしまう。自分で一日をコントロールしてくださいという日があればいいのに、と思ってしまう。他力本願なのに天邪鬼な私の願いである。

0606_0195  0606_0190_26月17日。コスタリカの沖を航行。うっそうと茂る緑に覆われた山々の連なりをデッキから眺めていると、カツオドリ?の群れが海面すれすれに飛び交っているのに気づいた。小魚の群れがいるのだ。そうだ!イルカもいるか!?と目を凝らすとイルカの大群が飛び出した。何百頭?群れが私たちの船など眼中にないというように餌をめがけて?泳ぐ、飛ぶ、舞う。感動し続けのコスタリカ沖だった。6月18日。エルサルバドル沖からグアテマラ沖を北上。食堂で昼食をとっているとき、右舷側のテーブルが騒がしくなる。食事途中の人たちが席を離れて窓際に急ぐ。左舷側にいた私たちも慌てて立ち上がる。昨日以上の数のイルカが船と競争するように走っている。時には何十頭もがいっせいに海面に立ち上がってラインダンスを見せてくれる。こんな大群は初めて見たと、ベテラン・リピーターたちも興奮気味。なんだか今年の「私のLUCK」を使い果たしてしまいそうだ。

0606_01436月19日。昼間は海の生物のオンパレードにまたまた興奮。ウミガメの行列なんて初めてみた。中には二頭が???という体勢で浮かんでいる姿も。プロカメラマン・東さんが撮った写真のキャプションには「ウミガメの世界も少子化対策に懸命」とあり、思わず笑った。マンタ、アシカの群れ、名前のわからない海鳥たち・・・興奮冷めやらぬまま夜を迎えた。

夜にはみんなが楽しみにしている「龍王祭」が上演された。世界一周クルーズとは言うものの、赤道を越える日はない。赤道祭は出来な06063654 いが、その代わり大西洋から太平洋へ無事に通過できたお祝いをするのだ。海の神・ネプチューンを日本流に呼べば「龍王」。パナマ運河を無事に通過できるよう、「クルーズの無事を祈って龍王に献上する劇」ということだが、通過後に無事通過を祈るというのには、ちょっと疑問が残る。それはともかく、龍王祭は楽しい。主たる演者は船客から募集する。先回の世界一周で美子さんは太平洋の王を演じた。今回は劇の進行をつかさどる講釈師の役だ。彼女の声はハリがあって0606_0223よく通る。マイクなしでもメインホールのどこにいても聞こえるので安心できる。船長役は先日の私たちの結婚記念日に飛び入り船長をしたNさん、乙姫は夫のデッキゴルフ仲間・西出さんの夫人。知り合いが出演すると、見る側としても力が入る。毎回、毎回、龍王祭に同じ役で出演するのを楽しみにしているベテラン・リピーターも多いと聞いた。ということは、彼らは世界一周クルーズに何回参加しているのだろう。考えれば考えるほど、うらやましい人たちではある。その夜はアカプルコ湾沖を通過。あまりにも美しいアカプルコの夜景。船はその夜景を乗客に楽しませようと速度を落として航行。配慮に感謝!漆黒の闇の中に町の形どおりにやわらか な赤い光の海が瞬いていた。

翌日の昼食時にはペリカンが群れを成して飛んでいた。竿になりカギになり・・・ペリカンの体は大きく、私などは襲われたら一巻の終わりに違いない。それほど大きな鳥が団体で飛ぶさまは圧倒的な迫力だ。先回見損ねたシャチにも出会えた。大西洋側ではマンボウの群れに出会えたし、太平洋側では連日のように海の生物に歓待される・・・予想していなかったことだ。本当にラッキーな日々が続いている。

0606382106063847 さて、21日はフィリピンナイトだった。私がカリビアンナイトの次に楽しみにしていた夜である。船のスタッフの半数はフィリピン人で構成されている。彼らがいろいろな趣向で船客を楽しませてくれるのだ。夕食時に食堂のテーブルの間の通路を目一杯使ってフィリピンのダンスを披露してくれた。この日ばかりは馴染んだスタッフの顔が別人に見える。いつも笑顔で礼儀正しく接客する彼らが、この日ばかりは水を得た魚のごとく活き活きと踊っている。

0606_0212デッキゴルフに夢中の夫は大西洋リーグ戦を終えて、体力を消耗したようだ。22日の夕食はインフォーマルだったが、夕食のために部屋に返ってきた夫は、ベッドにバタンとひっくり返ったまま、着替えるのも面倒くさくなったと「食事はパス。寝ていたほうがいい」とのたまう。これで夫の食事パスは2度目となった。私はまたまた美子夫妻の夕食のテーブルに「オジャマムシ」。美子さんの夫・荘輔さんは珍しく部屋での晩酌もせず、テーブルでもお酒を注文しない。「珍しいわね!」と言ったら、「カナディアンロッキーで酒の味を楽しみたいから」と答えた。そう、彼はサンフランシスコからカナディアンロッキーの大自然探訪ツアーに参加するのだ。酒の味をより一層美味しく味わうための工夫を怠らない荘輔魂はさすがだ。「本物の酒飲み」とは彼のような人のことを言うのだろう。

私たちの明後日は「思い出のサンフランシスコ」となるだろうか?

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06年世界一周クルーズ=31・パナマ運河を経て太平洋へ

Panama_0098_2 6月15日の夜遅くにパナマ運河の入り口にあたるリモン湾のクリストバルに到着。碇を下ろして夜明けを待つ。通過の順番も待つ。

6月16日。スエズ運河とともに国際海上交通に重要な役割を果たしているパナマ運河を一日かけて航行する。私にとっては2度目のパナマ運河体験だが、先回はメキシコの水に当たった体で元気も出ず、投げやりな気持ちで見物した。今回はしっかりと見ていこう。

Panama_0102 妹が飛鳥で世界一周をしたとき、 パナマ運河の途中で陸に下りたそうだ。そのときのお土産がモラ刺繍のベストだった。前身ごろにカラフルなインコがとまっているベストは私には少し大きいが、気に入っている。にっぽん丸は先回も今回も寄り道をしない。船長の気が変わってどこかの町へ寄らないかと、はかない望みを持ったが、ただただ、まっすぐに太平洋を目指している。

Panama_0117Panama_0129 運河の全長は約80km。半日かけて大西洋から太平洋に抜ける。船はクリストバルからガツンロックの3個の閘門を順に上り、海抜26メートルにある広大なガツン湖へ出る。さら に進むとゲイラード水狭。さらに進んでいくとペドロ・ミゲル閘門。そこで約9m下りる。さらに2つの閘門を通り太平洋と同じ水位になったところで、パナマ運河は終わる。運河に沿って太平洋と大西洋を結ぶ鉄道が走っていく。岸辺の建物ベランダや屋上から手を振ってくれる人たちがいる。狭い水路では船は両側を電気機関車に均等の馬力で引かれて進む。機関士に写真を撮らせて!と合図をすると、陽気にポーズをとってくれた。先回は船を引いてくれているオレンジ色の船の甲板から日に焼けた若者がこちらに向かって手を振り、体中で喜びを表わして叫んでいたのを思い出す。「コンニチワー!! 僕、日本人ですよー!」。こういうところでも日本の若者が活躍しているのか、と感動したのを思い出す。あの若者は今どこで活躍しているのだろう。船のわき腹には「SAGA SKY」とあったっけ。

Panama_0104_2Panama0122_2 先回と同じく幕の内弁当をつつき、ソウメンをすすりながらの運河見物に、違和感を覚えるが、本当は、日本にいながらにしてパナマ運河を体験する「究極の贅沢」旅なのだろう、など と考えているうちに時間は刻々と過ぎてゆき、超高層ビルが林立するパナマシティーが見えてくると、「ついに太平洋へ抜けた」とホッとすると同時に、ヨーロッパの国々やカリブ海の島々が急速に遠のいていくのを感じた。

Panama_0135_2 海に浮かんでいたペリカンの群れが、夕陽に染まり始めた空に向かって一斉に飛び立った。先頭の一羽に続いて一直線に飛んでいく。まるで雁のようだ。日本画を想像したとたん、水平線のかなたに日本列島が見えるような気がした。まだクルーズ日程はひと月も残っているのに、旅の終わりを実感する。残り少ないクルーズの日々をもう少し大切に過ごさなければと、心に命じた。

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06年世界一周クルーズ=30・パナマ運河に向けカリブ海を南下(洋上での記念日)

06_0094 6月13日の夜にコズメルを離れた船は18日にはパナマ運河の入り口に到達する。そして6月24日にはサンフランシスコに着く予定。約10日間も船上生活が続くと思うと、すでに船を我が家のように感じている私は、ホッとする。

コズメルを出た翌日は私たちの結婚記念日。誕生日や結婚記念日は、あらかじめ頼んでおけば夕食時に船側から賑やかに祝ってもらえる。夕食の席に親しい友人を招いて、一緒に食事をするのも楽しい。呼ばれた人たちはお祝いにと、たいていは船のボトルワインや、寄港地で買い求めたワインなどをプレゼントしたり、手作りのカードを送ったりして、みんなでワイワイと過ごす。私が記念日に呼ばれた場合は手作りの布花をプレゼントすることにしている。

03年の世界一周では毎日のように誰かの誕生日か結婚記念日があって、賑やかなディナー・タイムだった。しかし、06年の今回は淋しい。ほとんどお祝いがない。静かな食事時間を過ごしたい船客が多いのだろうか。船客のタイプが違ったようには思えないのだけれど・・・リピーターが多いということは、お祝いにも飽きてしまったということなのか。

ところで、だいぶ前から私たちの結婚記念日に一緒に食事をしていただく方を絞り込む作業をしてきた。私はともかく、夫の仲間は多い。本来なら親しい全員を招いて大宴会をしたいところだ。食堂の大テーブルは約10名が限度。その範囲なら皆さんと満遍なく会話が出来る。悩みながらも12名の方に招待状を届けた。招待状などと大げさなことはしなくてもよいのだが、これから先、世界一周クルーズに参加できるかどうかわからない私たちとすれば、思い出をより深くしたいと考えたのだった。私たち夫婦を加えると合計14名になってしまったが、これ以上どなたもはずせない。それほど仲良くしていただいている方たちなのだ。

066140012 今日のために私たちの身祝いとして、来てくださった皆さんにプレゼントを用意した。ひと月前に寄港したマラガで見つけたミニTシャツを夫の好きな焼酎「神の河」の小瓶に着せて、首にマドロス風のタイを結んだ。これは男性用。女性には布で手作りしたカーネーションを一輪ずつ、透明のセロファンにくるんでリボンをつけた。

過日、荘輔さんから「僕からは高さんに手製のガラスのお皿を贈るつもりだよ」と言われていた。グラスリッツェンの教室で、彼がガラスの皿に美しい円形の縁取りを作っていたのはそのためだったのだ。「けい子ちゃんは、ダンナさんに何か作ったかい?」「なんにも~~」そんなこと考えもしなかった。「ダンナさんへ感謝の気持ちを伝えなくちゃダメだよ」「え~~!」 オールド・ファッションド・グラス2個にTとKという飾り文字を彫りかけていが、単にペアグラスをつくろうと、お遊びの感覚で彫っていた。あれを流用しよう。よかった、Tを先に彫っておいて。あちらこちらに刃先が滑った跡があるが、気にしないでおこう。Kは未完のままで終わるだろう。でもなあ、夫からのプレゼントは絶対に期待できない。もう彼の言う台詞はわかっている。「寄港地では何かしらお前のものを買っているじゃないか」・・・

記念日には、夕食の途中で船専属の楽団がやってきてお祝いの歌を歌ってくれ、船長からケーキとカードのプレゼントがある。そして、船の専属カメラマンが記念撮影をしてくれる。出来上がった写真はその日の夜中に船からのプレゼントとして、部屋のドアの下からそっと差し入れられる。

066140030066140895 この夜の船長からのプレゼント・タイム は飛び切り楽しかった。というのは、今回初めてクルーズに参加したというユーモアたっぷり、楽しいこと大好きという元医者・Nさんが船長の制服を着込んで現れたのだ。夫のデッキゴルフ仲間でもある彼は、食堂の入り口で待機していたプレゼント隊に出くわして、急遽、船長と服を交換したのだそうだ。船長はどこに?と見るとNさんの背広を身につけて並んでいる。二人船長に祝ってもらった私たちのテーブルはこの上なく盛り上がり、食事時間を目一杯使って楽しい会話が飛び交った。37年目の記念日は、忘れがたい思い出となった。

明日の夜はパナマ運河の入り口にたどり着く。

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06年世界一周クルーズ=29・カリブ海からコズメルへ

Caribbean3462 バミューダのセントジョージを出港してメキシコのコズメル島に着くまでの丸3日間は海の上。大西洋を南下してバハマ諸島の間を抜け、フロリダ半島とキューバの間をメキシコ湾へ向けて進路をとる。そこから南下してカリブ海へ。6月13日の朝にはメキシコのユカタン半島の先に浮かぶコズメル島の沖に着く予定だ。三つの海域をゆっくりゆっくりと進む船旅は、私を優雅な気分にしてくれる。飛行機の旅では、このゆったり感と距離感を味わえないのだから。

バミューダを出てからはお天気には恵まれず、毎日のように酔い止めを飲む破目になった。けれど私は毎日を気分上々で過ごしている。(^_^)/「酔いそうだな」と感じたらすぐに酔い止めの錠剤を一錠飲んでおくのだ。こういうときのために、インフォメーション・カウンターから酔い止めの薬をまとめてもらっておいた。正解!! 前回のクルーズと違って、イベントに振り回されないように気をつけているのも、船旅を心から楽しめる要因の一つになっていると思う。

ただし、ノンビリしすぎたせいか夫も私も体重を増やし続けているこのごろだ。太りすぎは夫の体によくないのだが、本人はあまり自覚をしていない。私も口を酸っぱくしてまで注意する気になれない。心地よい船上生活のせいにしよう。

Cancun0049 Caribbean01バミューダを離れた最初の夜は、「カリビアンナイト」だった。ドレスコードはカジュアルだが、カリブ風、メキシコ風の衣装やアクセサリーをつけてお楽しみくださいという夜だ。私は洋上での盆踊りや日本の祭よりは、この夜のほうが好きだ。ビュッフェスタイルの夕食が終わると、スポーツデッキでダンスが始まる。大げさに言うと「マスカレード・ナイト」。横浜を出てからひと月以上経っているので、仮面をつけようがつけまいが船友たちの姿は遠くからでもわかるようになっている。それなのに、皆キキとして仮装する。夕食後早めにスポーツデッキに出て、面白そうなマスカレードや飾り物をスタッフから借りる。ただでさえ非日常の毎日なのに、仮面をつけるとなおさら開放感が増して大胆になる。私たちの若いころはやったリズムに乗って、「シャル・ウィ・ダンス?」と、あの人この人と踊り続ける。疲れを知らぬジジババ軍団が、背筋を伸ばして夜のふけるまで踊る姿はたいそうな迫力である。日本にいてはなかなか見られない光景だと思う。

洋上盆踊り、洋上運動会、そしてダンスなど眺めていると、戦後の日本をぐいぐい引っ張ってきたパワフルな人々が、まだまだやれるぞと叫んでいるような気がする。

6月13日朝8時。コズメル島沖に停泊。オソヨウ組の私たち夫婦にとっては本当に早い時間のCancun_0087 朝食を終えた。何しろ8時15分には下船口に集合しなければいけないのだ。ユカタン半島の先にあるカンクンでの「自由散策とショッピング」ツアーに参加するからだ。私たちにとって2度目の寄港地で、しかも先回はコズメルの町にある世界的に有名なショップで、カードの2度引きをされた。すぐに気づいて事なきを得はしたが・・・慌てたし、苦い思いも残った。もう一度同じ目に会うつもりはないが、別のところも歩いてみたい。

CancunCancun_0068昨年、カンクンは超大型ハリケーンに襲われ大被害をこうむった。いまだに回復していないホテルなどもあり、観光客も減っているそうだ。大型ショッピングモールなどは一番先に復興したらしい。私たち夫婦はとてもじゃないがツアーの高級ブランド物のショッピングは無理自由散策を楽しむつもりだ。現金をごっそり持ってお買い物という人もいる。高級品ばかり並ぶ店を「見るだけよ~」と楽しんだあと、浜辺のレストランでメキシコ料理の昼食。午後は大型ショッピングヴィレッジを回った。庶民的な場所で、家族連れも多くてホッとした。路上美容院?で観光客の女性が金髪をレゲエヘアに結ってもらっている。なかなか似合う。思わず「とても素敵! 撮らして」とカメラを向けると「いいわよ!」と弾んだ声が返ってきた。

Cancun0075蒸し暑い中を、隅から隅まで歩き回り、最後には何か冷たいものを口にしたくなった。夫が、 「あれなら安心だろう」と言うので、ハーゲンダッツの店に入り、アイスクリームで一息ついた。「安心だろう」というのは、先回のクルーズでメキシコに寄港したとき、悲惨な目に遭ったからだ。チェチェンイッツアの遺跡見物に出かけたのだが、昼食で口にした「ほんの一滴の氷水がついたトマト」に大当たりした。大当たりした人はかなりの人数に上った。おかげでスエズ運河通過を満足に見物できなかったのを思い出す。

カンクンの町では復興もままならないホテルや道が目に付いた。カンクンの人口の約半分が観光業に従事しているというが、来る人が激減しているのは目に見えているから、かなり深刻な状態なのだろう。私たちが落とすオカネも少しは役に立つのかしら、と思いながら町を離れた。

22時にはコズメルを出港。寄港地で過ごす時間は本当に忙しない。

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06年世界一周クルーズ=28・大西洋を南へ、バミューダ寄港

Bermuda_0055 ニューヨークでグラウンド・ゼロに行ったとき、それまでしっかり働いてくれていたカメラが突然ダウンした。カメラの機能回復のため、いろいろ手を尽くし、船の専属カメラマンにまで診てもらったが、どうにも回復できない。クルーズに出る前にカメラのオーバーホールをしてもらったのに・・・悔しい。カメラがダメとわかると、私の気持ちからハリもなくなったような気がする。船上の毎日がイマイチ楽しく思えない。こういうときは、「高いおカネを払ったのに、もったいないなあ」と心の隅でぼやくことになる。

ところで、ニューヨークからバミューダへは船で丸一日半かかる。最初の内は荒れていた海も、次第に穏やかさを増し、そのBermuda_0022 間にマンボウの行進に出くわした。生まれて初めて見た。海流に乗ってまるで計算したように間隔を取った並び方で、プカ~リ、プカ~リと浮いて海流に任せて移動している。もしかして彼らは「一生懸命泳いでいるんだ!」と言いたいのかもしれないが。まるで丸い帆立て船が浮かんでいるようだ。慌てて予備のカメラで写真は撮ったものの、何がなにやらわからない出来で、ガッカリ。予備のカメラの性能がイマイチだった。それはさておき、マイアミ、プエルトリコ、バミューダを結ぶバミューダ・トライアングルの海域は、上天気。デッキランチが開かれた。初めてクルーズに参加したときの私は、お天気がよければ毎日のようにデッキでランチをするのだと楽しみにしていた。そのため、あまりの回数の少なさに心底ガッカリしたものだが、今回はもう慣れた。船の側とすれば船客のためには、天気もよく気温もちょうど良い日と、本当に穏やかな、しかも安心できる海域を選ばなければならないのだ。

6月9日。バミューダに寄港。バミューダはニューヨークから空路2時間で飛んで来れる場所だBermuda0044 Bermuda0047 そうで、アメリカ人にとっては気楽な避暑地である。私にとっては、2度も訪れるとは思ってもいなかった超レアな場所。だが、再度寄港するとなると「港」が気になる。前回は首都・ハミルトンに寄港する予定だったのに、超大型客船が入港するということで急遽、私たちの船は旧都・セントジョージへ向かった(向かわされた)。今回こそは首都ハミルトンに入港したいと願った。が、今回は初めからセントジョージ港が予定されている。雨の降る中、3度目の来訪はないと確信があるので、夫と美子さんと3人でハミルトンまでシャトルバスで20分かけて出かけた。03年に、ぎらぎら照りつける日差しの中のバミューダを経験した私たちには、物足りない町歩きとなった。それでも、Tシャツ専門店でお土産用のTシャツを買い、美味しいと評判のコーヒー店にも入った。先回来たときに見つけた階段横丁?の両側に並ぶ店をヒヤカシながら見ていくと、「これなら私に合うかな」と美子さんが指差すのは、さわやかなカリブ海風のスカート。ここのサイズは私には合わないが、彼女にはちょうどよさそう。結局は買わなかったが、彼女はポートサイドで買いそびれたシンプルで涼しげなガラベーヤを思い出したのかもしれない。

酒類とおつまみらしきものを扱っている店に入ったとき突然、弟へのお土産を思いついた。バBermuda_0032ミューダがイギリス領ならVEGIMATEの瓶詰めが置いてあるかも、と。ロンドンで思いつけばよかった。長年イギリスに暮らしていた弟は、このピクルスだか何だかを刻み込んだ黒っぽいマヨネーズ状の瓶詰めが大好物なのだ。「ハイ、お土産、パンに塗ると美味しいよ」と、弟に初めて手渡されたときは、なんだ?と思った。中身が黒いのだ。それまではペースト状の黒いものといえば、ゴマくらいしか知らなかった。練りゴマを想像しながらVEGIMATEをトーストにつけて、食べた。何がなんだかわからない味に、ゲッとなった。香ばしいゴマではなく、驚くほど酸っぱかったのだ。が、回を重ねるにつれ癖になり、しまいには最高に美味しいペーストと思えるようになった。もしこの店にあれば、私の分も買おう。ガラス戸棚の中に、似たビンを見つけた。名前が違うが、なんとなく似ている。「VEGIMATE」と店員に尋ねた。彼女は「そんな名前は知らない」という。こんな感じ、こんな味、と説明していくうちに、彼女が、「私の妹はこれを大好きと言っている。あなたが言うような味らしいけど、私は・・・」肩をすくめた。「好きじゃない」と言おうとしたのか。半信半疑で2ビン買った。どうぞあの味でありますように。

セントジョージへ戻ったが、時間に余裕がある。そうだ! 各地のキュウリで酒の肴を作る美Bermuda__2963 子さんとキュウリ探しをしよう。このころになると私と夫の間で美子Bermuda__2944さんのニックネームは 「キューリー夫人」となっている。スーパーを探してひなびた町の坂道を歩いた。03年のクルーズ以来の船友たちがスーパーのポリ袋をいくつも提げて歩いてくるのに出くわした。船の食事に飽きたという、ちょっとハイソな人たちだ。彼らが買い物をしたというスーパーに私たちも行った。ひなびた田舎町の、小さなマーケット。ここでも、ヴェジマイトを探したが、見つからなかった。私は、小さなロールパンを一袋、小さなリンゴ一袋など(10個ぐらいずつ入っている)を買った。夫はビールを。私から見れば大柄な人ばかりの土地なのに、食べ物は小粒が多いというのが面白い。

まだ明るい夕方の5時にバミューダのセントジョージを出港、カリブ海へ。

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06年世界一周クルーズ=27・ニューヨーク寄港

Ny2637 6月6日。 横浜を出港してちょうど二ヵ月、ロンドンを出てからは一週間が経った。朝の光の中、左舷側すぐ目の前に自由の女神を見上げながらハドソン川をさかのぼる。たった一週間とはいえ、海ばかり見てきた身に自由の女神像は救いの神のように見える。たいまつをかざし、自信に満ちた面差しで私たちを見下ろして誘導する。船の最上階デッキに立って、17世紀の移民たちに思いをはせた。新大陸への不安を胸に3ヵ月を海上で過ごした人たちが、自由の女神を目にしたときに湧き上がる高揚感を・・・。女神の足元を通過したとき、私の心も予期せぬ高揚感に満たされた。

Ny4451朝8時ころマンハッタン島のピア90に、着岸。すぐそばには空母などの戦艦、戦車、戦闘機、などぎっしりと並ん だ埠頭が。アメリカ海軍の博物館だそうだ。まるで入港してくる船を威嚇しているようで、私はなんだか嫌な予感が・・・。ニューヨークには2泊するが、入国手続きは予想以上に厳しく、時間がかかった。予感的中。30分、1時間・・・どんどん時間が経過してゆく。300人以上の人が腰を下ろして待つベンチもなく、天井の高い、薄暗くてだだっ広い倉庫のようなところに間隔を置いて審査官のデスNy2750 クが並んでいる。いくつあったのだろう、思い出せない。「ただでさえ寄港地では時間が貴重なのに」とか「ツアーの時間が足りなくなっちゃう」などのぼやきというより悲鳴が上がるが、もちろん、そんなことは入国審査官には通用しない。何しろここは9・11同時多発テロ事件の起きたところなのだ。ようやく私の番が来た。私が差し出したパスポートを開けながら「名前は?」(パスポートを見てよ!)「どこから?」(ここにいるのは同じ船から降りた人ばかりじゃない!)「ハイ、右の人差し指を出して」(指紋を取るのだ!)犯罪者になった気分。「はい、目をここに当てて」(あ、指紋のほかに光彩を取るのか?)何も悪いことをしていない!と叫びたい気分。ようやく審査が終わった。こんなに厳しい審査があるのに、どうして国際的な犯罪者が捕まらないのか。心の中に不平不満と安堵が、ない交ぜになったまま、私は自由の天地へ解放された。

飛鳥Ⅱはブルックリンの側に停泊していると誰かが言っている。隣のピアにはピースボートが停泊していた。日本の多くの若者を乗せて世界各地の若者と交流をしながら地球を一周する船である。20~30代の若者が多いからか、5、6人のグループで元気一杯に外出したり、救命ボート操作の訓練に励んだりしている。私たちの客船は300名の船客の平均年齢が70・9歳、最高齢が92歳。若者の元気と迫力と若いオーラを少しもらいたい。

Ny4462埠頭にずらりと並んでいるのは、シャトルバスに加え、オプショナルツアーの観光のバス。下船するなり夫は私の歩く速度など無視して、すたすたと歩いていった。私は小走りであとを追う。あれっ、夫の怒鳴り声が聞こえる。なんだ? 大急ぎでそばに行くと、なんと!「そりまち! そりまち~~!」と叫んでいるのだ。びっくりして、「どうしたの?」と訊くと、「反町が乗っているんだ! ピースボートに!」3艘の救命艇の訓練をしている若者たちの中に彼の教え子がいるかもしれないと。ピースボートの若者たちはそれぞれに役割分担があるらしい。夫の言葉によれば「反町は広報を担当している」らしい。救命ボート訓練を取材しているかもしれないが、「いくらなんでも聞こえるわけ、ないでしょう。声が散ってしまうもの」と私が言っても、夫は船に向かって叫ぶのをやめない。一日違いで世界一周に出発してニューヨークで追いついたピースボートを目にして、夫は最高にご機嫌で、高揚感に包まれている。「そりまち~!」は、バス停に着くまで続いた。

ニューヨーク、私には初めての地である。夫は現役のころ仕事で何度か来ていて、その都度、一ヵ月は滞在した所だ。「一度は連れて行ってやりたい町のひとつ」と、言い続けていた夫の願いはかなったが、わずか2日間しかない。- -;)

Ny2808_2 初日は半日ツアーのあと夕方に船に戻る。夜は、この地に長年住んでいる夫の友人から日本料理店に招待されていたので、また繁華街に出かけた。タクシーを捕まえて乗り込むと、夫が行き先を告げる。「レキシントンアヴェニューと52ストリートの角へ」「わかった」とドライバー。安心していたが、なんだか道が違う。時折目に付く通のナンバーが違うのだ。「2、3本向こう側の道を上がっているようよ」と言うと、「運転手はOKと言ったから大丈夫だよ」と夫。レキシントンアヴェニューと54ストリートの交差点に到着。「ここじゃない、もう2つ向こうの52ストリートだ」夫が言う。「あPhoto んたの発音が悪いんだ。聞いたとおりのストリートだ」と、ドライバーは車を止めたまま。そうだ! ニューヨークは一方通行の道が交互に組み合わさっているから、一旦道を間違えて、遠回りをさせると金額も馬鹿にならない。ワンブロックは、かなりの距離だ。運転手に「聞き違えたお前が悪い。無料で正しい場所まで行け」という度胸はない。「じゃぁ、すぐに降りましょうよ。その代わりチップは0! メーターどおりきっちり払ってね」腹をたてた私が夫にそう告げると、彼は珍しく「そうしよう」と、きっちり払って車を降りた。腹は立ったが、約束の時間には十分に余裕がある。おのぼりさん丸出しでキョロキョロと見物しながら2ブロックを歩いた。船を早めに出て、目的地より遠くで下りて、歩く時間があって、返ってよかったかもしれない。そして道を曲がり、約束の日本料理店に着いた。久しぶりに畳に座って、日本食をご馳走になった。特に美味しいと思った蕎麦は、この店がカナダに持っている自家農園で収穫する蕎麦の粉を使っているのだとか。日本人ではない仲居の和服姿に少々違和感を覚えたが、国際都市ナラデハの光景でもあるのだ。

ニューヨークの思い出として書きたいことはたくさんある。が、なんと言っても一番書きたいのは、9・11同時多発テロの跡地、グラウンド・ゼロ。グラウンド・ゼロとは、爆心地のNy72764 ことだ。アメリカ軍が投下した原爆の爆心地・広島、長崎を指すことが多いそうだ。したがって同時多発テロで崩壊したビルの跡地を、そう呼ぶのはおかしいと批判もあるそうだ。跡地再建案として日本の建築家・安藤忠雄の「跡地を(地球を想像させる)円形の丘にする」という案は通らなかった。東洋と西洋の考え方の違いなのか。異文化の軋轢から生じた都市の空白を埋められるのは建築物ではない、というのが安藤忠雄の発想の根幹だと読んだ記憶があるが、まさに、その通りだと感じるのは、私が東洋人だからだろうか。グラウンド・ゼロに関する私の思いは、私が管理人をしているホームページ都会の井戸端」のエッセイのページに載せた。読んでいただければ幸いです。

ニューヨーク2日目。夫の案内で雨に煙る町を歩く。この日のテーマは、「NYを舞台にした小説や映画のワンシーンに立つ」。美子さんと一緒に女優になった気分で出かけた。荘輔さんは昨日からナイヤガラ一泊ツアーに参加している。船での旅行では、どちらか片方がツアーに参加することも多い。置いていく方ほうも、置いていかれるほうも安心。お互いが気楽に過ごせる。船旅ならではの楽しみかたでもある。

Ny0010さて、私たちのツアーのスタート地点はセントラルパーク。終点はソーホー地区。デパートのNy2786 ブルーミングデールには、どうしても立ち寄りたかった。ジェフリー・アーチャーの小説『ケインとアベル』で女主人公が働いていた場所を見たかったのだ。思ったほど広くないが、格式はありそう。最上階から順番に各階を見て下りた。ちょうどセールの時期だった。美子さんが柄物のボディータオルを見つけた。「船室で昼寝するときに使えるわ」Ny2782 と。私は2種類のランチョンマットを「タイで買った象柄のランチョンマットが替え時よ」と。二人ともニューヨークの思い出を手にしてご機嫌だった。「ティファニーで朝食を」「ある愛の歌」「クイズショウ」「恋に落ちて」「マーシャルロー」「めぐり逢えたら」「ホームアローン」「ベビートーク」「陰謀のセオリー」「あなたに降る夢」「ダイハード」・・・いくら上げても切りがない。とにかく次から次へと映画のタイトルを思い出しながら、歩き回った。

これからソーホーへ向うというとき、美子さんが、「疲れたから先に船に帰るわ」。ちょうど、シャトルバスの待合所のあるウェスティンホテルの前だった。私たち夫婦だけで歩く時間を作ろうとする彼女の配慮だと、すぐにわかった。大柄で、ずばずば物を言う彼女だが、じつに細やかな神経の持ち主なのだ。

地下鉄の駅で、夫は券売機の前で買い方を思い出せず呆然。小さなブースから、拡声器を通して堂々とした体格の女性が買い方を教えてくれた。味も素っ気もない鉄箱に人を詰め込んで、黙って運搬するように思える電車だった。どの駅のプラットホームも、だだっ広くて薄暗い。

Ny0003 いまや高級ブティックが並ぶソーホー地区。開店を目指して用意を始めたユニクロ、すでに店を構えている「MUJI」など日系の店も多い。実は夫はソーホーであるものを探し回っていた。「SOHO・NEW YORK」と書いてある車のナンバープレートだ。名古屋にあるソーホー・ジャパンの社長へのお土産にしたいのだ。彼のことを弟のように気に入っているのは私も知っている。ナンバープレートはたくさんあるが、目指すものはなかなか見つからない。美子さんが一緒だったら気の毒なことだった。足が痛くなったころ、ついに見つけた。「よーし、日本へ帰ったらこれを額装するぞー!」かなりハイテンションになった夫は、「おい、お前がいつも額装を頼むのはどこだ?」「銀座の伊東屋よ」「じゃあ、帰ったらすぐにそこに頼んでくれ」疲れてきたところへ、いとも簡単そうに言われると腹が立つ。が、気を取り直して、歩き続けた。中田英寿が購入したというビルはこのあたりかなどと、小雨降る中をあちらこちらと歩き回っているうちに、帰りに予定していた地下鉄の駅がわからなくなってしまった。必要もないのにブティックに飛び込み、道を尋ねること数度、ようやく駅にたどり着いた。

Ny0017Ny0011ハドソン川のピア90を離れたのは6月7日の夜、8時30分。静かに、静かに自由の女神に別れを告げる。女神はトーチの灯りで私たちを照らしているよう。ヘサキへ行くと左舷前方に花火が打ち上げられて、いつまでも続いた。まるで隅田川の花火大会を見ているようだ。だれともなく言い出した。「きっとこの船のために船会社が用意したサプライズよ」後ろの方から「あれはコニーアイランド方面だから、ディズニーランドのように夜の催しの一環ではないだろうか」「もしかして、ブラッド・ピットの『ジョー・ブラックをよろしく』っていう映画のように、大金持ちのバースデーパーティーかもしれないわ」正解はどれだろう。

ゆっくりと進む船が巻き起こす風は強烈で、ヘサキに立っていられないほどだが、だれもがニューヨークの夜景に魅せられ続けた。たった2泊の滞在だったが、ニューヨークは私に忘れがたい思い出をたくさん残してくれた。

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06年世界一周クルーズ=26・大西洋を越えてニューヨークへ(美容室の予約)

Atrantic4421 5月29日の夕刻にテムズ川を下った船は、大西洋へ出てニューヨークを目指していた。6月6日にはニューヨークのハドソン川の埠頭に着く予定だ。17世紀の船旅を思う。21世紀の2万トン級のこの客船でさえ一週間以上かかる大西洋横断を、200トンにも満たないメイフラワー号ではるばるとアメリカへ向かったピューリタンたち。大陸到着までに3ヵ月を費やした。私たちが地球ひとまわりする月日を・・・。私たちが乗っている21世紀の船は、客に配慮した設計の大型客船。そんな船に挑戦状を突きつけるようにうねり続ける大西洋。デッキに立つと直立不可能な体勢になるほどだ。17世紀の人たちはどのようにして海の上での3ヵ月を過ごしたのだろう。

6月2日までに毎日1時間ずつ時計の針を戻して、時刻改正をした。合わせて5時間戻したことになる。6月6日に着く予定のニューヨークの時間に慣れておくようにとの配慮だと思うが、立て続けに時間が1時間ずつ戻ると一日一日がひどく長く感じられて、さすがの私も疲れてしまった。

それに加え、予想はしていたものの、大西洋の波の荒さは並大抵ではない。北からの低気圧のAtlantic4390 せいもあるのだろう。あまりにも大揺れの日、午後はいつも3時から真夜中まで開いている大風呂がとうとう3時から5時まで閉鎖となった。そんな中でもカルチャー教室やメインショーはちゃんと開かれているし、夫たちのデッキゴルフも盛会だ。クルーズ生活すでに2ヵ月、私たちは「揺れもまた楽し」の境地に達しているのだった。03年の世界一周のときだが、船はイギリスから大西洋に出て南下し、バミューダに向かった。そのときも北からの低気圧の影響を受け、船はローリングとピッチングを繰り返し、船酔い続出。翌日、デッキで澄まし顔の人とすれ違ったが、その人は確か昨日「も~、イヤ!日本に帰りたい!」と叫んでいた。船旅って面白い

ところで、ニューヨークへ着くまでの一週間、船上での私の生活は・・・

その1→ついにブイの製作が終了。芸術家・菅井荘輔の助力のおかげで「WORLD CRUISE Atlantic4384  Atlantic4380_2 Atlantic_43882006 KEIKO」の立派な文字が入り、「アーティフィシャル・マイ・ブイ」が出来上がった。パソコンで、アーでもない、コーでもないと文字のフォントと大きさを工夫した甲斐があった。インド洋上で開始したブイ製作教室は、開催回数こそ少なかったが、講師連は甲板員たちという得がたい洋上の体験教室ではあった。

その2→タイタニック号が沈没した地点(タイタニック・ポイント)北緯41度43分、西経Titanic_point4404 49度56分を通った。船は輪を描くように、特定したその場所の周りをゆっくりと円を描いTitanic_point4398 て回り、汽笛を鳴らした。慰霊祭を行うというので、03年のときと同じように船尾に出かけたが、何もない。どこかしらとウロウロしているうちに終わっていた。なんだか私だけが敬遠されたような気分だった。というのも、先回、大西洋上とはいえ何百キロも離れた地点で行った鎮魂の儀式のスピーチに対してエッセイで異議を唱えた私だ。「また何かイチャモンをつける人がいるといけないからって、場所を放送しなかったのかしら」と夫に不平を言うと「お前の文章なんかに船の人たちが目を通していると思うか?」それもそうだ- -;)部屋に戻ると荘輔さんから電話。「部屋のテレビに現在地の緯度経度が出ているよ。写真に撮るといいんじゃない?」慌ててカメラに手を伸ばした。荘輔さん、ありがとう!

その3→愛知県人会が開かれた。名古屋出身の夫は郷土愛が強い。自分のそばで誰かと誰かが話していると、ちょっとしたイントネーションに気づいて「もしかして愛知県?」「名古屋?」と問う。ほとんど当たる。すると「やっぱり~!」と嬉しそう。その回数が増えて、船客に愛知県出身者が意外に多とわかると、「いつか愛知県人会を開こう」。夫は幹事役を引き受けて、ついに夕食時に県人会を開くことができた。私は欠席。なぜなら名古屋弁や愛知弁が飛び交う中で???とした顔で過ごすなんて、つまらない。私は40年近く名古屋人の妻をしているが、名古屋人同士の会話をそばで聞いていて理解できたことは少ない。ほとんどのご夫婦が同郷同士なのだとわかったこのときは、ちょっとうらやましかった。この日の夕食は「申し訳ないけど一緒にして」と美子さん夫妻にお願いした。すると、同じ通路にある菅井邸?に呼ばれ、食前酒をご馳走になって、そのあと食堂へ。いいご機嫌で食卓へついた。二人の邪魔をしてごめんなさい ありがとう

その4→夫たちのデッキゴルフ熱は上がる一方で、大西洋上リーグ戦が始まった。美子さんはAtlantic4378 ロンドンで手に入れたカンペールのカラフルなサンダル靴でデッキゴルフに興じている。彼女の足取りがなんとなく軽く感じるのは気のせいだろうか。私はその間、応援に出かけることもあるが、ほとんど読書、カルチャー教室などで過ごす。ネイルショップが開いているときに前を通りがかり、予定外のネールアートをしてもらったことも。そんなとき、プロ使用のラッピッド・ドライ・スプレーを嫁さんたちに買った。マニキュアの乾きが普通のものより3倍は速いと思う。しかし衝動買いをした日は、夜ベッドに入ってから反省することが多い。彼女たちにはあそこで○○を買った、ここで△△も買ったなあ、と。時間に余裕があるときは出来心の無駄遣いが増える。(^^;)

その5→何日か前に北海で私たちの船を無視して、猛スピードで追い越していった飛鳥Ⅱの無作法な?行動の理由がわかった。こちらからの汽笛での挨拶にも、「少しの間、併走しませんか」という無線の提案も無視して、霧の海上を一目散に駆け抜けて行った理由が。ロンドンで、我がほうの船客が飛鳥Ⅱに乗り込んでいた友人とばったり出会って聞いた話や、インターネットで飛鳥Ⅱのホームページを見た人が「情報開示していたよ。さすが飛鳥だ」と教えてくれた話を総合すると・・・外国客船として活躍した船が飛鳥Ⅱとして再生し、初めての世界一周に出たわけだが、日本人使用にリフォームした部分に不備が生じて復旧に手間取った。それに加え、現地の水先案内人が潮の干満の時刻を間違えたのか、あの水深の浅いザ・サウンドを通過するためにバラストや食料を捨てて船体を軽くしなければならず、手間取った。だから時間を取り戻すためには汽笛を鳴らす間もあらばこそ、私たちの船を追い抜いて、全速力でロンドンに向けて航行していたのだ。両船の船客たちはデッキにでて双眼鏡でお互いを確かめ合い、手を振り合っていた。その間、向こうの操舵室と機関室では必死の形相のスタッフが右往左往していたのだ。そう、スケジュールどおりなら、彼らは私たちより早くロンドンについているはずだった。飛鳥Ⅱ疾走の謎解きが終わって、ホッとした。ニューヨークでも、飛鳥Ⅱに会うかもしれない。

その6→イギリスを離れるとすぐにフォーマルナイト。滞在したイギリスに感謝を表すると同Formal3277 時にこれから向かうアメリカにも挨拶するのだ、と私は勝手に解釈する。赤と白の染め分け地に金糸銀糸でシャンデリアを刺繍した和服を着用。独身時代に母が揃えてくれたパーティー用の和服が数十年後にも役に立った。白地は時代を経て生成り色に変化しているが、赤は中年になってからちょっと地味な深い赤に染め直した。船の上ではちょうどいい派手さではないかと思う。ところで、フォーマルの日の美容室は満員盛況だ。ヘアも着付けも予約で埋まる。要領のいい人は横浜出港時に美容室に全部のフォーマル、インフォーマルの日を予約するそうだ。そのため、初めてのクルーズのとき、私は予約をとるのに苦労した。時には着付けの心得のある船友に手伝ってもらったが、彼女だってフォーマルウエアに着替えなければならない時間帯だった。今回は自分で着付けすることにして、帯をお太鼓だけ自分で作ればよい「付け帯」に仕立て直してきた。ヘアもフォーマル用にウィグを用意した。これも正解だったと思う。そして、フォーマルナイトの翌日は、大西洋上で盆踊り大会。03年のときには行事にあわせて浴衣も持ち込み、夫婦共に浴衣に着替えて踊ったが、もう一つ気が乗らなかった。なんとなく違和感があったのだ。そこで今回のクルーズには浴衣を持ち込まなかった。夫も浴衣は要らないと言ったが、本当は着て踊りの輪に入りたかったのかもしれない。名古屋の下町育ちはお祭大好き人間なのだから。

その7→焼酎の夕べというのがあり、夕食時に、大げさに言えば全国津々浦々の焼酎各種を楽4423 しめる。夫もこの日の夜は張り切った。彼は現役時代に鹿児島の薩摩酒造を担当したことがある。いつものように徹底的にクライアントの歴史からポリシーからを調べ上げ、将来を予想し・・・で、新作焼酎に「神の河」とう名前を提案したくらいだから、「焼酎」には一家言持っている。定年退職後、腎不全になった夫は「焼酎なら飲んでよい。ただし1杯だけ」と医者から言われている。私はそれを「お湯割りでグラス1杯」と理解しているのだが、夫は「腹一杯」と解釈しているようで、困る。周りを見ていると焼酎の夕べといっても「とりあえずビール」組がかなりいるのが面白い。日本人だなあ、と妙に感動してしまう。

以上に加え、アメリカへの入国手続きの説明会やオプショナルツアーの説明会などを経て、・・・とうとう明日の朝はニューヨーク。「自由の女神」の像に初めて迎えられる気持ちはどんなだろう。

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06年世界一周クルーズ=25・グリニッジ寄港

Greenwich4255_2 5月28日。東西を分ける子午線の町・グリニッジに着いた。船はテムズ河畔の真ん中に碇を降ろした。岸へ渡るには、まず私たちの船から小さなポンツーン(浮橋)に渡り、そこから小さな渡し舟に乗り換えて行く。岸辺に展示してある帆船は、カティーサーク号。19世紀後半に、中国からイギリスへ向けて紅茶を運んだ快速帆船(クリッパー)の一つで、短い期間だがティー・クリッパーとして活躍した船である。ヘサキには白い衣装を身にまとった若い魔女が左手を突き出している。その手には黒い長い物をしっかりとにぎっている。馬の尻尾だそうだ。確かに、馬の尻尾に見える。

いわれは→『昔、男ありけり。馬に乗り森の中を行くと、魔女の集会に出くGreenwich4275わした。短いシュミーズ(カティーサーク)をまとった、ひときわ美しい魔女がいる。男は彼女にうっとりとなり、思わず手を出した。しかし魔女たちに気づかれて追いかけられる破目に…、ほうほうの体で男は逃げおおせたものの、馬の尻尾は魔女に捕まってしまった』。かわいそうな馬! カティーサーク号の船首には引っこ抜いた尻尾をつかんだその魔女がいるのだ。男を惑わす美女の顔は?と、よく見るとなんと、まあ、怖い顔! 私だったら近づくどころか一目散に逃げるだろう。けれど、こういう顔が船首にあれば、海賊も近寄りがたいかもしれない。男はきっと、顔よりも豊満な肉体に引き寄せられたのだ、と私は断言できる。

ところで、グリニッジには2泊する。といっても、いつものとおり初日は午後3時過ぎに到着して、翌日の午後7時には出港する。その間に、グリニッジで過ごす人、ロンドンまで足を伸ばす人、あるいは2日間で6つ用意されているオプショナルツアーに参加する人、いろいろだ。船は潮の満ち干の関係で、私たちがいない間に別の埠頭に移動してしまうそうだ。

初日、グリニッジに渡れたのは午後遅くだったが、私は夫に付き合って日曜日のロンドンへ繰り出した。とにかくカンペールの店を探しておくのだ。夫は03年のクルーズのときからずっと探し続けている。今回もツアーコンシェルジェや現地の旅行社にいろいろ調べてもらっていた。感謝! しかし、彼が納得する形と色とサイズがなければ時間の無駄、というわけだ…先回も、今回も今までは無駄だった(--。)カンペールの店はコベントガーデンからしばらく行ったところにあったが、案の定、今日は閉まっていた。明日があるさ、と夫は期待に満ちた顔でうなずいた。

London4364London4350コベントガーデンのマーケットでは、ドイツで開かれるFIFAワールドカップ直前だからか、サッカー関連のいろいろなグッズが並べ立てられていた。夫はロナウジーニョの『写真とも油絵とも取れる小さな絵』?が気に入って、買った。ちょっと立ち止まってサッカー関連のものを見ていたりすると、あちらからもこちらからも声をかけられる。わざわざ人の顔を覗き込むようにして、大きな声で、「イングランド、ナンバーワン!」と。道行く車にはイングランドのチーム旗がたなびき、道路わきにはイングランドのチーム旗の上に「BELIEVE」と書いた看板が目に付く。さすがサッカー発祥の地! 我がニッポン・チームは果たしてどのくらいの活躍ができるのだろうか。ワールドカップはバミューダに向かうころ始まる予定だ。

帰りのシャトルバスの時間を間違えていたとわかって、慌てて停留所へ走った。下りた場所と 同じくロンドン三越の前に到着すると、発車した直後だった(本当に!数秒後)。次のバスの時間までの半端な時間をどうやって過ごそうかと考える間もなく、バスを手配した地元の旅行社の人が気を利かせて、このバスを動かします、と言う。次の時間のためのバスらしい。それなのに、担当者は私たちを押し込むように乗せると、運転手と押し問答してまで、発車させてくれた。バス一台に私たち夫婦だけ? ジャパンマネーの力? 夫は、俺たちが強制したわけじゃないから気にするなと言うが、私にとってはグリニッジまでの30分が「針のムシロ」だった。

機嫌を悪くしたままの運転手は、それでもバスを走らせながら観光案内をしてくれる。その合Greenwich4270間にバス会社へ無線を入れ、「このバスに乗ってるのは、たった2人だ!たった2人!を何度も繰り返す) 俺が家族との夕飯に帰れないのは、たった2人をグリニッジまで送るためか?」「特別手当を出せ!」などと早口でまくし立て、私たちに向かってはマイクを通して、「左側に見えるのは、ジャマイカから来た労働者を住まわせた地区で…」と、ゆっくりと解説する。前から3列目の席に座っている私にはどちらも聞こえてしまう。私の英語力は衰えたが、まだヒヤリングは大丈夫だと、このときわかった。多分、ものすごく緊張していたからだ。30分後に船着場へ着いたときには、正直ホッとした。「私たちだけのためにバスを運転して、気の毒だったわ。あなたの怒りがこれで静まるとは思わないけど」と言いながら、ポシェットの中をかき回して、ありったけのコインを手にするとダッシュボードに並べ立てた。驚いた顔で私を見つめた目が「しまった!」と言っている。大きな体に似合わない小さな声が「ありがとうございます」。私の気持ちも納まった。先に下りていた夫が、「そんなことする必要は、ないんだぞ!」

Greenwich4251 5月29日。美子さん夫妻とともに、ロンドンにでかけた。一日かけて、「大英博物館+カンペール」が目的だ。再び渡し舟で岸に渡ったが、シャトルバスに乗るまでにはまだ十分の時間がある。グリニッジ天文台の東西を分ける線まで往復する時間はないが、行けるところまで歩いてみよう。国立海軍大学の前を通り、海洋博物館の建物を裏に回る。広々とした自然公園へ出た。木々の燃え立つ緑がまぶしい。リードをはずした犬が走り回る緑の野原。真っ黒なスコッチテリアが走って行ったあとに、灰色の動物が立ち上がった。よく見ると大きなリス。カンガルーのような飛び方で走り去る。すがすがしい朝の、癒しの時間だった。

シャトルバスで30分かけて、ピカデリーサーカスへ向かう。そこからは歩London4300_2く、歩く。劇場のLondon4304  前を通ると「マンマミーア」の舞台の宣伝広告を見つけた夫が、記念写真を撮ってくれという。私は劇場前の道路にハリウッドスターの手形を見つけ、有頂天。お気に入りのパトリック・スウェイジの手形をみつけた! 「ダーティーダンシング」以来、好きな俳優の一人なのだ。ここには「三人のエンジェル」の公開記念で来たようだ。この映画は3人のゲイが繰り広げる、心温まるものがたりだった。しかもその3人に扮しているのが、彼のほかにはウェズリー・スナイプスとジョン・レグイザモ。普段はマッチョな役をこなすことの多い俳優ばかりが女装のゲイを演じるのは、見ものだった。

London4314London4316さて、大英博物館。大英帝国の栄えたころの戦利品の数々は、見ごたえはあったが、どうして元あった場所に戻すことをしないのか、と少しばかりもどかしさを覚えた。特にイギリスは紳士の国、フェアプレーの精神、ナイトの精神を外国にまで教えている国だったのでは? 03年のクルーズでエジプトの国立歴史博物館へ行ったが、大英博物館の品々も、あの場所に飾ってあれば、なおのこと歴史の臨場感が増すのではないかと思えるものが数多くある。戦勝国に飾ることこそ歴史を実感できるのだ、とも言われそうだが…。

博物館の跡は地下鉄へ。タイルのモザイク壁画が楽しいトッテナムコートロード駅からひと駅先のオクスLondon4323 フォードストリートへ。地上に出ると夫は「こっちへ行けばオールドボンドストリート」「ここからこう行けばニューボンドストリート」などと薀蓄を傾ける。だだっ広い道(通の名前を忘れた)を歩いているうちに「あ、見つけた!」スワロフスキーの店を。せっかく見つけたのだからと、美子さんに一緒に入ってもらった。欲しかった犬の置物が、ようやくここで見つかった。何都市ものスワロの店を回ってとうとう見つけた、そう思うと気分だけでもセレブの仲間入り。たかだか2万円弱のガラスの置物のきらめきが、ダイヤより美しく思えた。そして、人々でごった返すカーナビーストリートから右へ曲がったり、左に道を取ったりして、リージェントストリートへ。

London4331 どこからか「キーンコーンカーンコーン」と、さわやかな音が聴こえてきLondon4308 た。通の向こうの、いかにもイギリス風の赤いレLondon4309 ンガのビルの壁に仕込まれたカラクリ時計が3時を知らせているのだった。宮廷風の衣装の男女が左右の口から静々と出てきて鐘をついている。「何の店かな?」と荘輔さん。慌てて店の名前を読むと「フォートナムメイソン」。紅茶とジャムくらいしか頭になかったが、こんなに大きな食品デパートだったのだ。ゆっくりと歩いていくとピカデリーサーカスに戻っていた。「そういえばパブに行きたかった」ということで、ちょっと横丁を入ったところに小さなパブを見つけ、ビールでカンパイ!朝から8時間近く歩いた体を癒した。そうそう、カンペールの店で夫はついに気に入った靴を見つけた。美子さんもデッキゴルフ用にカラフルなサンダルを見つけた。買い物袋を手に、幸せそうな夫と美子さん、ちょっと呆れ顔の荘輔さんと私。4人のロンドンの一日が終わった。ちょうど旅程の半分が過ぎた。テムズ川から大西洋へ。目指すはニューヨーク。

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06年世界一周クルーズ=24・ザ・サウンド通過・オレンジナイト

Kattegat9_2 昨日の夕食も、一日を費やした町歩きの反省会と称して美子さんたちと一緒だった。美子さん夫妻は町歩きの疲れもなんのその、夕食前の一時間をデッキゴルフで楽しんでいた。テーブルで、4人揃ったところで、ビール、日本酒、ワインの赤、白をてんでんばらばらに注文して、乾杯!私の中では自分にも乾杯! その日に限って町で使った金額がきちんと頭に残っていたからだ。理由は自分でもよくわからない。1万円を450クローネに替え、それを全部使い切った。その上、カードでの買い物もした。あのお兄さんから買った砂糖を絡めたカシューナッツは25クローネだった。大人の靴を入れる箱より大きい子供のおもちゃ自動車が30クローネ。マグカップほどもあるカップに並々と注がれたコーヒーはクッキー1枚付きで25クローネ。チボリ公園の入園料75クローネ。ロイヤル・コペンハーゲンのコーヒーのカップ&ソーサー465クローネ。 港のソフトクリーム25クローネ。アイスクリームのバ-18クローネ。絵葉書1枚7クローネ…。

Kronborg_4206 さて、イギリスへ向けコペンハーゲンを出港すると、スウェーデンのマルメとデンマークのコペンハーゲンを結ぶ巨大で優美な曲線を描くオーレスン海峡大橋が見えてくる。橋は瀬戸大橋を参考にしたとか。途中で海に潜るそうだが、航行する船上からはどのあたりから潜るのか、先回も今回もわからずじまいだった。03年に通過したときは海面には風力発電用の風車がどこまでも立ち並ぶさまに目を見張ったものだ。上空には北欧の国々を行き来する飛行機が絶えず飛び交っていた。やがて、ザ・サウンドに差し掛かる。ザ・サウンドというのは、デンマークとスウェーデン間の海峡の一番狭い場所のことで、幅は4キロメートルだそうだ。水深もかなり浅いらしい。船は静かに、静かに進む。やがて午後7時半ごろ、デンマーク側に目を転じると『ハムレット』の舞台となったクロンボー城が見えてきた。現在は北緯55・5度あたりにいるらしい。

North_sea北欧の五月末、日の出は4時でも、日没がなかなかやってこない。午North_sea4209 後9時でも左の写真のように明るい。真夜中の午前2時半になっても右の写真のような空である。白夜の季節を実感している。やがて、白夜があけて5月27日。まだ北海の上だ。霧が濃い。船は速度を落として航行していた。「現在、右舷海上に飛鳥Ⅱが併走しています」と船内放送。えっ?と思った。日本の3大客船と呼ばれている飛鳥Ⅱ、ぱしふぃっくびいなす、にっぽん丸、の世界一周クルーズは横浜から日にAska4221ちを置いて順番に出発し、同じような寄港地を回るのだから、併走したり追い抜いたりすることはないと思っていた。私はすぐに操舵室に向かった。新しい飛鳥Ⅱの船体を写真でしか見たことがなかったので、確かめてみたかった。飛鳥Ⅱにとっては初めての世界一周クルーズ中でもある。操舵室には、すでにたくさんの人が集まって「どこだ、どこだ」と五里霧中のかなたへ目を凝らしていた。「あれだ!」誰かが霧に包まれた水平線上を指差した。かすかに白い船が見える。操舵室に用意されている倍率の高い双眼鏡を目に当てた人が「確かに二引のファンネルだ。飛鳥Ⅱだ!」という。白い煙突に2本の赤い線が引いてあるのは日本郵船の客船の印なのだ。こちらにっぽん丸は進路を飛鳥Ⅱのほうへ向け「互いに近寄ってしばらく併走しましょう」というような友好的な連絡を入れたといい、汽笛も何回か鳴らした。待てど暮らせど返事がない。そのうちに以前の飛鳥に何度も乗っていたという男性が「飛鳥は大体そういう体質なのです。返事などするわけがありませんよ」と言う。「そんなにお高く止まった船なのですか」と驚いたように応じる人。それでも皆、飛鳥Ⅱに目を凝らし続けた。突然「ブォー」と返礼らしき霧笛が、 近づいてきた飛鳥から鳴り響いた。望遠鏡を持った人が「向こうでも、たくさんの人がデッキから手を振っていますよ。あの船には私の友人夫婦も乗っているんです」と大きな声で言いながら、盛んに手を振っていた。飛鳥Ⅱは速度をますます高めながら私たちを置いて走り去った。慌てふためいて、という感じだった。一足先にテムズ川に向かっていたはずの船で何が起こったのだろう。気になった。

Orange_nightOrange_night4230 今夜はテーマ・ナイト。「オレンジナイト」。船のファンネンルがオレンジ色なので、船のテーマカラーになっている。この日のディナーには、オレンジ色の何かを身につけて出かける。もちろん、身に着けなくてもいいのだが、多くの人が何かしら工夫するのを楽しんでいる。船の中は大げさに言うとオレンジ一色に染まる。花も、船内の飾りも、食事も、テーブルも…。ちなみにメニューも、エスカルゴのオレンジ風味クリーム焼きから始まって…オレンジマンゴのグラニテ…など、写真のメニュー通りであった。

そのあとには、アントワープから乗船してきた狂言の大蔵流・茂山千五郎家の 公演があり、久しぶりにメインショーを堪能した。航海中は毎日のようにメインショーがあり、寄港地では現地の芸能が催されるのだが、今回はあまり見たいとか、聴きたいとか思うものがなく、私にとってはつまらない夜が多い。その分、読書の時間が増えていたが、久しぶりにメインホールへ出かけて楽しんだ。全速力で走り去った飛鳥Ⅱの謎解きも、いつの間にか忘れてしまった。

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