ブロッコリーの森

Amami_0420 奄美大島の原生林を歩く機会に恵まれた。1月なのに山々には木や草が生き生きと輝いて、どこまでも続いている。さすが、北から南まで3000キロ以上にわたる日本列島。北海道や日本海側の山は雪に埋もれて白一色だというのに、ここは瑞々しい緑が茂る春の世界だ。

島の中央部に、亜熱帯広葉樹が生い茂る金作原(きんさくばる)原生林がある。固有種の鳥や動物も多く生息しているそうだが、この季節では見かけることも、鳴き声を聞くことも期待できない。

Amami_0356 目的地へ向かう小型バスは、オレンジ色の実が鈴なりのタンカンの木やバナナの木を左右に見ながら進む。現地ガイドは、奄美の自然を守るためにがんばっている団体の人だ。その彼が原生林の入り口で開口一番、「私にあとに付いて『道を』歩いてください」「え?」「道の脇に珍しい植物があったりすると、ちょっと近づいてみたくなるでしょうが、やめてください。ハブがどこに潜んでいるかわかりませんから」ハブの被害はニュースなどで知っていたが、その言葉によって現実味が増し、原生林についての説明を聞きながら緊張して歩く。

「いくら自然のままの山だ、森だ、と言われても松の木を見つけたら、すでにどこかに人のAmami_0416 手が入っていると思って間違いないです」山に少しでも人の手が加わると、一番先に自然発生するのは松だそうだ。ここへ来るまでの曲がりくねった山道のあちこちに松の木が見えたが、道路建設で人の手が加わった結果なのだ。なぜ松なのか、理由を聞きそびれてしまったのが残念。「なめらかな稜線の山を見ると美しいと思うでしょう? 人の手が入っている山です。たとえば植林した山なんかがそうですね。山全体がボコボコとしてブロッコリーのように見えれば、それは手つかずの、自然林の山です」バスの車窓から遠望した山は、まさにブロッコリーだった。

Amami0361 原生林の中で生きているシダ類は、とんでもなく巨大でたくましい。私の背丈ほどの高さで、茎は腕くらいの太さ。葉は、私が両手を輪にしたより大きかった。樹齢百年以上のものが多いと聞いて、なおさら驚いた。それまでの私は、〈シダという植物は、日陰に生えている丈の低い柔らかな草〉というイメージしか持っていなかった。天然記念物だというシダは「ヒカゲヘゴ」といい、ヤシの木と間違えてしまったくらいだ。茎は「幹」と呼んだ方がしっくりするし、高さが十メートルはあるような幹の頂上には、葉が放射状に広がっているからだ。

Amami_0397 Amami_0414 その幹に人の足跡のような模様がペタペタとついている。葉柄が落ちた跡だそうだ。その足跡が整然と並んでいる幹と、まるで追われて慌てて逃げた、と言わんばかりに乱れた足跡の幹があるのに気がついた。「原生林を守りたいのですが、むずかしいですね。こっそりとシダの葉を折り取っていく人が後を絶たないので困るのです」とガイド氏は嘆いた。ドロボウは、天然記念物の葉を盗ったところで、そのあとどうするのだろう。自然に落葉したヒカゲヘゴの幹は、自信に満ちて、すっくと天に向かって伸びているように感じるが、無理に葉柄をむしり取られた幹は、全体に勢いが感じられない。傷を治すのが精一杯だったのだろう。

原生林の奥へ進むと、倒れた巨木があっAmami_0406た。幹の下側に自然発生した根が、栄養分を求めて曲がりくねりながら土の中に潜り込んでいる。その倒木の上側に生まれた新たな幹が、か細いながら天を求めて立ち上がっている。「命を受け継ぐ」という言葉を思い出した。奄美から帰京後、しばらくして科学博物館に出かけたとき、輪切りの屋久杉を見た。樹齢千 年以上の杉を「屋久杉」と呼ぶそうだ。説明書きによると、展示してあるものは樹齢千六百年である。気が遠くなりそうだった。人間はなんと小さく、はかない存在なのだろう。ジャングルの木を伐採した地域の砂漠化が、急速に進んでいる。日本のブロッコリーの山々はそのまま残っていて欲しい。

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愛の!手抜き料理

Atami1130331 夫には内緒だが、今年の冬、私は食事の支度に楽をさせてもらっている。腎不全の夫の食事には気を遣う。たんぱく質や塩分、カリウムなどの制限があるので、アバウト志向の私としては、ノイローゼになりそうなときもある。

その日も、夕食の献立に迷っていた。しかし、食材だけは五色をそろえたい。こう思うのは、以前に見たテレビ番組の影響である。韓国人と結婚した日本女性がお姑さんに教わった食事の基本について語っていた。「いつも赤、緑、白、黄、黒の五色を忘れないように、健康の基だからと言われています」。彼女が作って見せてくれた家庭料理は彩りよく、おいしそう。一目でバランスのいい食事だとわかった。そのときから私も、常に五色を使う献立を考えるようになったのだ。

Atami_0891 迷ったあげく、手早く出来る鍋物に決めた。一人用の土鍋をふたつ用意。出汁を昆布でとり、すりおろしたショウガを加える。夫のための野菜類は一度茹でこぼしてカリウムを抜き、豚肉は空焼きして脂分を除く。そうした材料を土鍋に盛り込む。野菜はたっぷり、肉は少々、全体に彩りよく。韓国料理では色のほかに調味の「五味」も大事なのだそうだ。甘い、辛い、酸っぱい、苦い、そして「しょっぱい」の五つ。醤油や塩は「しょっぱい」ので、夫にはほとんど使えないが、四味でも十分。赤トウガラシ粉に加えて黒コショウや黒酢、すりおろしショウガなどが活躍している。

湯気がふつふつ上がる土鍋をテーブルに置くと夫はゴマすり器に手を伸ばし、一気にすりおろす。芳ばしい香りが漂ってきた。次に、黒酢をかけて、おもむろにレンゲを手に食べ始めた。夫が満足そうに言う。「こういう鍋なら毎晩でも作ってほしいな」「それなら、イヤというまで毎日作るわ」

こうして今年の冬は、私の愛の手抜き料理と共に過ぎてゆく。lovelyhappy02

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熱海暮らし・・・チョコの効用

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10月の初め。熱海の山荘に夫の友人が5人、1泊2日の予定でやってきた。

5人分の布団は我が家に用意していない。そこでいつも頼む貸し布団屋を利用することにしたのだが、布団が届くはずの午後2時になっても配達車の音が聞こえてこない。夫たちがゴルフから帰ってくるまでに敷いておきたいのに。おかしいなあと思っているころへ電話。若い男の声だった。「循環バスの15番停留所にいるのですが……お宅へはここからどう行けばよいのですか」

我が家は山の奥まったところにあり、初めてくる人が、入り組んだ枝道を通って一度で到着するのは難しい。けれど、何度も布団を届けに来ている店なのに、それはないでしょう。そうは思っても、困り果てたような声音に対して怒りをぶつけるわけにもいかない。14番停留所まで戻って、そこを……と教えたら5分もかからず到着した。「新人なので……教えられたとおりの道順で来たんですが、本当に申し訳ありません」

22、3歳に見える。汗びっしょりの顔で恐縮されると、私のイライラをぶつけるわけにもいかない。おまけに汗を拭く間もなく布団を担いで玄関まで、25段の石段を何回も往復する姿を見れば、同情も生まれる。手伝おうと手を出すと、「大丈夫です、仕事ですから」。けれど、彼の目から、はっきりと伝わってくるのは、「奥さん、邪魔です」。

Atami200404 私は引き下がって彼のためにお茶を入れた。何か甘いものをと思ったが、何もない。しばらく考えたら、あるある、金と黒の紙でひとかけらずつを包んだビターチョコレート。急な来客の酒のつまみにもなると思って買っておいたのだ。それを湯飲みの脇に添えた。運び終えた若者に、「お疲れ様」と差し出すと、汗を拭きながら、破顔一笑、「あ、僕、このチョコレート大好きなんです。いただきます!」。邪魔です、という目は消えていた。

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熱海暮らし・・・ああ無情

Img_0455 熱海の山には強風が吹き荒れていた。我が家の窓を閉めていても、グォーッと怒り狂ったような風のうなり声が響いてくる。

「まったく……天気は上々なのにこの風は、なんだ。昨日ではなくてよかったなあ」夫が日に焼けた顔で言う。秋晴れの空の下、無風の中で定年退職組の友人たちとゴルフができたのは、幸運だった。

Atami_0894 私は夫と違って、こういう日が好きだ。「これが野分の真髄よ」と外に出た。風に押し倒されそうだ。地上では森の大木がしなるほどの風が吹き荒れているというのに、晴れ渡る空には雲の巨大な塊がゆったりと流れていく。このギャップが楽しいし、気持ちよい。玄関近くにクモの巣網を見つけた。50センチ四方はありそうだ。大きなクモが網の端のほうにじっとしている。体は黒とグレー、脚は黒と黄の縞模様。整然と張られた網糸が風に揺れながら日光を反射してきらめき、実に美しい。しかし、出入りには邪魔な場所にある。風が止み次第、巣網を取り払おう。頭上にギシギシと音がして見上げると、カラスが一羽飛んでいく。ギシギシは羽を上下させる音だった。風に流されないよう相当の力を使っているようだ。続いて数羽の山鳩が天敵のカラスを警戒し、こちらへ逃げてくる。小さな羽音が、ギ、ギと聞こえた。

突然、ヒューと風がうなり、渦を巻きながらに山頂から吹き下りてきた。同時に黄色や茶色Atami_0906 の枯葉がザーッと叩きつけるような音を立てて降ってくる。まるで豪雨だ。数枚の枯葉がクモの巣を直撃した。弾力のある網目に、大穴が四つも開いてしまった。隅にいるクモは、じっと動かない。10分ほどして風がほんの少し弱まると動き出し、懸命に穴の修理を始めた。2、3日は来客もなさそうだ。巣を取り払うのは、またの機会にしようと思った。夜も強風は続いた。翌朝、外に出てみると、巣網は輪郭だけになって揺れていた。

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羽田空港

Haneda120486 「今年は羽田に連れて行ってやろう」夫が嬉しそうに言った。6歳になった孫息子の誕生祝いにするというのだ。羽田……私が20代のころには、国際便の発着もそこからだった。空港という場所が好きで、時間を見つけては出かけたものだ。送迎デッキから航空機の発着を、何時間も眺めていた。そこは日本と世界を結ぶ「夢の架け橋」だった。ターミナルの2階からエプロンと呼ぶ送迎デッキに出る。胸までの高さの手すりもたれると、目の前にはタラップをつけて乗客を待つ飛行機。遠くには、待機中の機体が整列している。始動開始したエンジンの音が耳に心地よい。滑走路に向かって動き出した機から響いてくるキーンという音。燃料のかすかな匂い。轟音を残して次々と空の彼方へ消えて行く。私の心はそのジェット機より先に海を越え、地球の裏側へ飛んでいた。さまざまな音が入り混じる向こうには、世界の国々が待っている。私の夢は、バリバリと仕事をこなし、取材のために羽田からまだ見ぬ国へ飛び立つこと。 孫Haneda120548Haneda120494と出かけた羽田空港は成田に劣らず広々として、にぎわっていた。最長の滑走路も完成し、すぐに国際線ターミナルも出来上がるそうだ。送迎デッキはなく、5階に展望 デッキがある。頑丈な金網が人の背丈より高く張り巡らされていた。夫は航空機と孫の姿をカメラに納めようと、夢中になっている。「おばあちゃん、 見て! 『嵐』だよ!」はしゃぐ孫の目の前には。嵐のメンバー5人の、巨大な似顔絵が描かれたJAL機が駐機していた。ANAの機体にはピカチュウ軍団。孫が、当たり前のように言う。「去年、鹿児島に行ったときはJALで、帰りはANAだったよ」空港はあまりにも身近になった。今や世界を結ぶ「歩道橋」かもしれない。大きな夢を背負って、若者は簡単に渡っていく。

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熱海暮らし・・・ヤマカガシ!

熱海の奥の、標高およそ600メートルの山。その八合目に建てた家が、私は大好きだ。山全体が別荘地で、定住する人も多いのだが、奥まったところにある我が家の近くには、ほとんど家がない。一年中ウグイスが鳴き、夏の終わりにはカジカの物悲しい歌声に包まれる。大空を悠々と流れる雲や、山を渡る風の音に時を忘れる。夜中に3階のベランダに寝転んで、しし座流星群の飛び交うさまを、明け方まで堪能したこともある。別荘の裏には、そこそこの広さの庭があり、その奥の急斜面に取り付けた鉄製の階段を上れば、雑木林を散策できる。

Atami000084_3 4月の終わりごろだった。Atami030966_3うらうらと眠 たくなるような陽射しの中、私は林の下草を点検するために勢いよく鉄の階段を上がった。小道を5、6 歩進んだ瞬間、数歩先の黒っぽい塊に気がついた。塊の真ん中から、何かがぬっと立ち上がり、すべるようにこちらに向かってきた。蛇だ!逃げなきゃ! 私は振り向きざまに走って、階段を一気に駈け降りた。すぐ下の水仙畑に立ち、動悸を鎮めてから後ろを見ると、蛇は階段の上で鎌首をすっと上げて、止まっていた。

1メートル以上ありそうだ。太くて長いホースのような体は深緑色で、首のAtami000082_3Atami030968_3周りは濃い橙色。青大将な ら知っている。このあたりに出没するというマムシは、見たことはないが土に似た色だそうだ。蛇は同じ姿勢を保ったまま、細い舌をチロチロと見せ、つやのない黒い目で私を見つめている。まるで私のことを知っているように。ふと、思った。この蛇は数年前に死んだ飼い犬の生まれ変わりかもしれないと。まだペットロスから立ち直れないでいた私は、低い声で蛇に話しかけた。「もしかして、君なの? だったら私を脅かしてはダメよ。そばにいてくれるのはわかったから、もう来ないでね」蛇はその言葉を理解したように、長い体をくねらせて隣の沢地へ音もなく消えた。

別荘地の管理棟に報告すると、「若い山カガシですね。マムシの血清は熱海のどの病院にも用意してありますが、山カガシの血清は自衛隊に連絡しなければ……。噛まれて三十分以内なら助かると思いますよ」。

あれから4年、庭仕事を始めるときは、蛇を遠ざけるために必ず草むらを叩いているが、たまに、あの蛇に会いたいという気もする。

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船名は願いを込めて

Seaship1610_2 世界一周クルーズに参加したときのことである。シンガポール入港の朝、船のデッキに立つと日本の貨物船が目に入った。船名の最後は「丸」。ふと、35年前のニュージーランドを思い出した。

Seaship_2南島を十二日間かけて回るバス旅行をした。各国から集まった総勢16人の旅行者が相乗りするワンマン観光バス。運転手は中年男性で、幌馬車隊のように「コーチキャプテン」と呼ば  れ、ガイドからコーディネーターまでこなす。3,4日が経つと、バスの中でお互いに歌を披露しあうほどに打ち解けあった。キャプテンまでがハンドルを握りながら、声を張り上げて合唱に参加するほどだ。ある港町に着いたとき、キャプテンが、「日本の船はどれも、船名の最後に『マル』と付いているが意味があるのかい? それを見ると、いつも不思議でならないんだ」突然の質問に、私はうろたえた。「マルというのは、英語のTHEと同じに考えればいいのよ……多分……」彼は疑い深い目をしながら、「そうかなあ?」と首をすくめた。

Seaship0280_2帰国後、何年か経って東北を旅行した。海岸線の美しさに見とれて、バスガイドの説明を聞き流していたのだが……、「日本の船の名前にはたいてい『丸』と、ついていますね」エッ、と耳をそばだてた。「……丸を描くと必ず元の位置に戻ります。漁で遠くの海に出かけても、丸く円を描くように必ず元の港に帰って来いよ、と願いを込めて、船には『何々丸』とつけるんですよ」そうだったのか……それが答えなのか。

Seaship20940_4 私の乗っている船も横浜を出てから地球の丸みに沿って西へ進んでいるが、101日後には横浜港に帰り着く。船名は「にっぽん」。あのときのコーチキャプテンに、今なら胸を張って答えられるのに・・・。だれか、この船の名前の「丸」について私に質問してくれないかしら。

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熱海暮らし・・・花三題

Izu0584 好天の一日を使って伊豆半島一周ドライブに出かけた。出発地は熱海。まずは伊東、伊豆高原を経て石廊崎まで、平日の、静かな海岸線に沿って走る。桜並木の花吹雪の中を通過しながら、ふと思う。このような情景に遇うとき、「狂気」を感じることが ある。深い霧の中に咲き誇る桜を見上げたときなどはなおさらだ。ぼってりと咲く八重桜や、あでやかな山桜にさえ狂気を感じる。それでも桜を嫌いと思ったことはない。桜の力なのだろうか。

Izu0607石廊崎を過ぎ、海を眺めながら西伊豆へ進路を取る。いかにも「田舎道」といった狭い道をたどっていくうちに、両側の畑が黄色い花であふれているIzu0579 のに気がついた。車を停めてよく見ると、畑はずいぶん下のほうにあるとわかった。黄水仙の一群が見える。百本以上もありそうな花の香りはどんなだろう。近くまで行けないのが残念。私は水仙の花の香りが好きだ。人を寄せ付けないような、きりりとした香りに、「高貴」を感じる。黄水仙の群生の向こうには、菜の花畑が延々と山すそまで続いていた。ところどころに桜の木が十数本立っているが、まだ二分くらいの咲きかけだ。目を上げると、山の半分近くが満開の桜で埋まっている。すごい! ひと月の間には、山全体が桜の花で埋まるのだろう。

Izu0580_2 道の脇で、若緑の葉と黄色の花を取り合わせた菜の花の海をしばらく眺めていた。音もなく、風もない風景。……チチッとかすかな鳴き声がして、小鳥が飛んだ。風が穏やかに流れ、菜の花の黄色が一斉にうねる。緑の葉が波打つ。また静まり返る。心が和む。菜の花畑は「狂気」でも「高貴」でもなく、「癒し」の海だっだ。

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有田焼と辻常陸窯

Tmbai_wall_arita 数年前、私は母のお供で有田に行き、トンバイ塀(↑写真)に囲まれた窯元・辻家を訪問した。そこで、十四代常陸氏のお話を伺い、その人柄に引き込まれ、辻家独自の手法・極真焼を知った。何よりの収穫は極真焼から生まれた「辻家の青色」を間近に見られたことだった。ちなみに「トンバイ」とは、登り窯を壊したときに出る耐熱レンガのことだそうで、それを利用して作る塀に囲まれた家は、有田特有の風景だと聞いている。

The_14th_tsuji_hitachi_2 今年の3月。池袋のデパートで開かれた「十五代 辻常陸・作陶展」の最終日に出かけた。平成19年に亡くなった十四代の跡を継いだ長男の満喜男氏の作品展で、辻常陸窯の、江戸時代から現代までの作品も展示されていた。辻常陸窯の磁器の青色をもう一度見たい。つややかな白い地になんともいえない独特の、控えめで上品な青で描かれた作品に再会したいと願っていたが、ついに実現した。

The_15th_tsuji_hitachi_2会場では辻家350年の歴史を身近に感じながら順に作品を見て回った。十四代の作品になると、特別な思い入れで、ひとつずつ丹念に鑑賞する。いくつ目かの大きな壺が、なんだか違うように感じた。作者の名前を見ると「十五代辻常陸」とある。そこから十五代の作品になるのだ。いま見ていた十四代の作品と見比べた。さて、どこがどう違うのか、さっぱりわからない。それなのに、何かが違う。「動」の絵柄と、「静」の絵柄の違いなのか。親と子の30数年の差なのだろうか。私には見当もつかない。本当に不思議だ。

辻常陸窯から出向している辻誠一さん(写真右)と永嶺勝志さん(写真左)に会うことが出来た。辻With_staff_from_tsuji_potteryさんは数年前に 辻家で、秘伝の磁器製法である極真焼(ごくしんやき)の実演をしてくれた人だった。面差しが十四代によく似ている。永嶺さんは、いつも展示会などの案内に直筆で短いメッセージとサインを加えてくれる。印刷された案内状に直筆が加わると、人間味や温かみまで伝わってくる。2人とも私の息子と同じくらいの年齢の、明るくて気さくで、まじめな人柄がにじんでいる若者だった。話をしていると、自分たちの窯元を支え、繁栄させようとする「意気」を感じた。彼らなら、辻常陸窯を守り立てるに違いない。

ところで、有田は日本の磁器発祥の地である。16世紀末、朝鮮半島からやってきた高い技術を持った陶工たちが、有田の山で白磁鉱を発見したことによって、有田焼の歴史が始まった。それまでの日本には「陶器」はあったが、「磁器」はなかったのだ。

図録の解説によると「辻家」が歴史の表舞台に登場するのは、ちょうど東インド会社が中国磁器に代わって有田Gokushinyakiの磁器を大量に輸出するようになったころである。17世紀初めには、辻家は天皇家御用達の磁器を製作していた。御所常用の器は藍色の模様を染め付けたものだったそうだ。

「禁裏御用」としての役目を重要視した辻家は、染付けの技術向上に努力を重ねていた。そのうちに九代喜平次が生み出した製法が「極真焼(ごくしんやき)」(写真→)で、この製法が辻家秘伝の磁器製法となった。「十五代 辻常陸・作陶展」の会場にはその「極真焼」の製法が筆文字で細かく記された貴重な紙片も展示されていた。また、展示されていた食器セットは、日本最初の「皇室用磁器洋食器」だった。青色ではなく、金色で描かれた縁取りが燦然と輝いていた。

現在の辻窯繁栄の礎を築いたのは明治時代に活躍した「辻勝蔵」という人だそうだ。辻家の歴史を読むと、海外で高評価を受けた彼の、陶工としての技術力もさることながら、営業力も超一流だったように思える。

見たかった辻常陸の青を再び見ることができた上、磁器の歴史を再確認し、辻家を支える若い2人にも会えた。氷雨の中を出かけた甲斐があった。(トンバイ塀、磁器の写真は「十五代辻常陸作陶展」図録より。転載を許可していただきました)

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熱海暮らし・・咲かせて咲かせて・・・

Atami1080974 夫が定年退職後に受けていた仕事からも解放されると、熱海の山奥に建てた家に夫婦で出かける日が多くなった。静かな中で、ゆっくりと流れる時間に癒される。今年も二月半ばから三月初めまでを、そこで過ごした。

少しは体を動かさなければと毎日の昼食後に二人で散歩することにした。万歩計を携え、四、五十分・六千歩が目標だ。坂道が多いので、裏庭の木の枝で杖を作った。

Atami1090006Atami1080973その日も三時ごろに家を出た。私は軍手をはめ、杖を片手に、夫は必須携行品のカメラを持って歩き出す。風は吹いていないが、空気は冷たく、霧がうっすらと漂い始めていた。ゆるい登り坂の両側は、赤や桃色の椿の大木の並木である。薄手の花びらを幾重にも重ねた花に、思わず感嘆のため息をつく。「まるで大輪のバラのようね」「珍しいのか? だったら撮っておこう」花オンチの夫だが、私の言葉にすぐに反応してカメラを向ける。

坂の上に到着。ここまでで約千歩。私は杖にすがって息を切らしていた。さらにゆくと、桜に出逢った。濃い桃色の花は熱海桜だ。七分咲きだった。山桜はもう少しあとで咲く。ソメイヨシノはそのまたあとだ。

手入れの行き届いた庭に、水仙が小さな群れで咲いている。ムスカリも見つけた。Atami1080976_3 雨戸の閉ま った家の庭先では、鈴生りの夏みかんが鳥に食い荒らされて無残な姿をさらしていた。別の庭の、幹が見えないほど黄色い花に覆われた木はミモザ。「植物園めぐりをしている気分ね」

かすかだが、凛とした香が漂ってきた。花Atami1090014を見つけるより先に梅がAtami1090012咲いているとわかる。だれも来ていない別荘の庭で、紅梅と白梅が重なるように咲いていた。白梅は満開だが、紅梅はまだ三分咲きだった。「紅梅は染める手間ほど遅く咲き……っていう句、知ってる?」「そのくらいは知っているよ」帰り支度で別荘から出てきたご夫婦と、挨拶を交わす。その家の玄関脇に立つ大きな枝垂れ梅の木は、紅梅で満開だった。

Atami1090001_2 Atami1080982杖を持ち替えながら、夫に言う。「一度にいろいろな花が咲いてし まって、本当にもったいな いわね」「熱海は地面の下が常に暖かいから、一度に咲いて当然だと思うよ」「私としては、慌てて咲いてほしくないのよ」短い命の美しいときを順番に楽しみたい。

深くなった霧の中を我が家に向かいながら、私はいつの間にか口ずさんでいた。「咲かせて、咲かせて桃色吐息……きれいと言われる時は短すぎて……」

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